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焼き物/陶器/陶芸作品の販売 >> 本間文江 >> エッセイ >> 手焙り猫に寄せる思い

 「手あぶり猫」作家本間文江のエッセイ集

このページでは「手あぶり猫」の作家である岩手県の若手陶芸家本間文江さんが
河北新報夕刊の文化欄「微風 旋風」に連載したエッセイをご紹介しています。

手焙り猫に寄せる思い(2008年6月10日掲載)

 手焙り猫を作り始めてから三年が過ぎた。何体の猫を作ったろうか。首のひょろっと長い猫もいたし、背中が山のように出っ張った猫もいたし、ふてぶてしい猫もいた。同じように作ったつもりでも、出来上がってみると、猫との出会いは一期一会である。

 初めて手焙り猫を作ったときのことを、よく覚えている。妹が握ったおむすびのような(私の妹は、形は悪いが愛嬌のあるおもすびを作る)胴体の上に、危なっかしく頭が載っている。四肢と尾は細く、いびつな胴体から遠慮深くこっそりと伸び、なんともアンバランスだ。われながら稚拙な一作目は、ただただ楽しく作ったのだ。そして作り上げたとき、大仕事をやり遂げたような満足感があった。

 少し前からは、隣の家からモデル志望の唐猫が通ってくるようになった。わが家では、魚をよく食べるので、しっぽやら頭がモデル料となる。私は魚の骨に付いた身まできちょうめんに食べるほうだが、時に猫に優しい食べ方をして、モデル料とすることもある。唐猫は腹がふくれると、さっさと家路に就き、肝心なときは不在だ。

 手焙り猫を作るとき、以前飼っていた「ボン」という名のオス猫が、記憶の中で身を翻し、ポーズを取る。そして、唐猫が来てからは、「ボン」は私の記憶の中から飛び出し、ずっと鮮明にポーズをとるのである。

 猫を作るたびに、初めて猫を作り上げた時の気持ちから、どんどん遠ざかる。作れば作るほど、そして猫がポーズをとればとるほど、いろいろのことが分からなくなる。三年たって、私は猫という限られた形の中に、どこまでも深い世界が潜んでいたことに気が付いたのだ。手焙り猫の背中を開け、空洞を見る。そこは空っぽで、何も見えないが、広い世界の入り口のように思う。

 作業部屋の隅っこに、申し訳なさそうに座る一作目は、いつの間にか私の心の目標になった。猫の中に潜む深い世界を隅々まで見ることができたとき、あの時のような気持ちで作れるのだろうか。これから先、背中の空洞を満たすほどの、数え切れない一期一会の出会いが、私を待っている。

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